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YouTubeで人気のリナ・オオクマさんってどんな人? アメリカ・アリゾナ在住のトレーナーになるまでのヒストリー
今年のヘルスケア分野の動向を予想した「FYTTEヘルスケアトレンド2024」。この中で、注目のトレンドワードのひとつとして掲げたのが「エンタフィット2024」です。これは、「エンタメ」×「フィットネス」を意味するFYTTEの造語で、最近増えている、楽しむ要素や気軽さを打ち出した新しいフィットネスを指しています。
そこで今回は、YouTubeで「ピラダンス」などの動画を発信しているアメリカ・アリゾナ在住のトレーナー・大熊理奈(リナ・オオクマ)さんを大フォーカス。フィットネスだけでなく、ポジティブにアメリカでの生活や自身の思いなどを飾ることなく発信している姿は好感が持て、ファンも急増しています。
今回は、第1弾として、彼女がアメリカに移住した理由や、ザセツしたときの話などを伺いました。
Contents 目次
念願のアメリカ留学も最初の3か月は泣いてばかり!?
――そもそもアメリカに渡ることになるきっかけは?
高校生のときに、英語の塾に通っていたのですが、そこの先生からすごく英語に関するインスピレーションを受けて。それに、『日本の大学よりアメリカの大学に行ったほうがいい』みたいなことをしょっちゅうおっしゃられていたので、そこでアメリカの大学に行きたいという思いが生まれました。
日本の大学は入るのが難しいけど、卒業は簡単。一方、アメリカの大学は入るのはそんなに難しくないけど、卒業は難しいってよく言われますよね。それだけに、入学してもきちんと勉強するとか、卒業後につながるようなことを学べるから、アメリカの大学がいいよって。また、先生いわく、英語はツールだから、英語を目的として勉強するのではなく、ツールとして英語を使って授業を受けられるようになると、社会に出たときに英語を使って仕事ができるようになることも大切だよって教えていただいて。ただ、アメリカの大学に進学したいと親に相談したところ、『20歳までは日本にいなさい』ということだったので、日本の大学に2年半通ったのですが、やはりアメリカの大学を卒業したいと思って、アリゾナ州立大学に転入しました。
――英語の塾の先生との出会いが大きかったんですね。英語の塾に通った経緯は?
じつは、高校に入ってからダンスをやり始めて。それが楽しくて勉強がおろそかになってしまい、心配した親が見つけてきた塾だったんです。
――夢だったアメリカの大学に無事に転入したものの、YouTubeでは、最初の3か月ぐらいは泣いてばかりいたとおっしゃっていましたね。
そうなんです。アメリカという異国の地に行くってことがいちばん楽しみだったんですが、どこか旅行みたいな感じで行ってしまったんです。最初は寮に入っていたんですけど、ルームメイトは寮に戻ってくるようなタイプの子ではなかったので、なかなか友だちができなくて。最初の3か月は、学校から帰ったら、寮で独りぼっちという毎日。周りの人ともうまくコミュニケーションもとれず、とてもつらかった時期でした。
――それは、どうやって乗り越えたんですか?
2つあって、ひとつは、日本を立つ直前に「ピラダンス」の資格を取得していたことがきっかけです。資格取得直後に留学したため、日本で教える機会はなかったのですが、アリゾナ州立大学内にはフィットネスセンターがあって、気分転換に、ヨガのクラスやダンスフィットネスのクラスなどを受けに行くようになったんです。そのときに、教えている先生たちが、私と同じような学生だということに気がついて。じゃあ、私もピラダンスの資格持っているから、教えることができるかもしれないと思って、オーディションを受けたんです。それで受かって、クラスを持つようになるのですが、この経験がどんどん前に進もうと思えるようになったきっかけでもあります。実際に体を動かして、クラスに来てくれる人たちも『楽しかったよ』とか言ってもらえると、自分がここにいる意味を見出せた感じで、自信をもって前に進んでいけました。
もうひとつは、寮からインターナショナル生が多く集まっているシェアハウスに移ったことです。いろんな国の人たちがいるのですが、みんな英語になまりがあるんです。いろんな英語を聞いていると、別に完璧に話せなくてもいいんだってことに気がついて。アメリカではちゃんと自分を主張することがすごく大事なので、とりあえずでも話すことが大切なんだということを実感して、話すようになり、孤独からも抜け出すことができました。
ピラダンスとの出会いとアメリカでの反響
――自分の夢ややりたいことにアクティブで、行動力のある大熊さんですが、小さいころはどんなお子さんでしたか?
結構わんぱくだったと思います。小学校に入る前とかは、毎日公園に連れて行ってもらって、遊ぶのが好きな子どもで。それで、小学1年生から5年生までは、オリンピックを目指して、器械体操をやっていました。それで体を動かす基礎が身につきました。そのあと、中学のときは部活でバスケットボールをやっていたんですが、高校では、ダンスに目覚めて。入った高校では、文化祭や体育祭でダンスのイベントがある学校で、ダンスっておもしろいなと思うようになって、ダンススタジオに通うようになりました。
――そのスタジオでピラダンスを知ったのですか?
いえ、じつは違うスタジオです。ピラダンスは、日本の大学に通っているときで、高校のときにダンスを習っていたので、ダンスを教えられるアルバイトを探していたんです。そんな中、原宿でK-POPのダンスを教えるインストラクターを募集していて、そこで約2年、K-POPのダンスを教えていたんですが、そこのオーナーがピラダンスの資格をとられて。そこではじめて知って、興味を持ち、資格をとったんです。
――アメリカではじめてピラダンスを教えて、反響とかはいかがでしたか?
最初は、すごく大変でした。日本では、ラクしてやせたいという傾向が大きいと思うんです。ハードというよりは、ゆったりやって、体を伸ばして、軽くトレーニングして、すっきりするみたいな感じ。ピラダンスもそんな感じで習っていました。
でも、アメリカのニーズは正反対なんです。しかも大学のフィットネスセンターなので、大学生がメイン。とにかく体を動かして、汗をかいてすっきりできるというのが人気なんです。なので、解説をただ聞いている時間とかは不要で、ハイテンポなリズムで、強度を上げたりなど、シフトチェンジが必要でした。しかも、最初は誰も来ない日もあって、そのままクラスを閉じた日もありました。それで、ピラダンスのほかに『ヒップホップフィットネス』という自分で作ったオリジナルエクササイズを作ったら、すごく人気がでて、最終的には30〜40人はうまるクラスになりました。
――大成功ですね!
本当に、やってよかったなって思います。大学生活の中でも、自分の生きがいでしたし、成し遂げられたことのひとつですね。
未来の心配より今がいちばん大事。前に進み続ける原動力は?
――そんな充実したアメリカでの大学生活を終えるとき、進路を悩まれましたか? 日本に帰ることは選択肢にあったのでしょうか?
じつは大学を卒業する少し前から、YouTubeを始めてまして。卒業直後は登録者数が1000人到達し、もっとがんばれるかもって思いがあったので、アメリカに残る選択をしました。アメリカにいることで、ほかの人では見せられない景色やライフスタイルも見せることができると思いましたし。それと、卒業後に、アリゾナでK-POPのダンスワークショップを開講したのですが、それもすごく人気が出たので、この路線でがんばろうと思い、今に至っています。
――YouTubeの動画でも、人に教えることが好きとおっしゃっていましたが。
日本の大学に在学していたときに、K-POPのダンスのほかに、英語と算数の家庭教師や、飲食店のホールスタッフ、アパレルやコースセンターなど、いろんなアルバイトをしていたんです。でも、2年続いたのは、K-POPのダンスを教える仕事と家庭教師という、責任をもって教える仕事だったんです。
自分の脳内をそのまま伝えたいというところがあって、でも、同じ言葉でも人によって伝わり方って違ってきますよね。だからこそ、自分の脳内を伝えたい。教えるという仕事は自分がその場にいないと替えがきかないというところから責任感がもて、結果やりがいがある仕事だと気づいたんです。人に伝わっているかを見られる今の仕事がとても楽しいです。
――現在、K-POPのダンスワークショップと、YouTubeとは別のオンラインでのレッスンを軸に活動されている大熊さん。とくにYouTubeは人気商売ですが、やっていくことに迷いはなかったのでしょうか。
私の性格なのかもしれないんですけど、今がいちばん大事と感じるタイプなんです。将来のため、未来のために目標を立てて、準備したとしても、実際はその通りになることはあまりないと思うんです。そんな予測不能な将来の心配をするなら、今にちゃんと集中しようって思うタイプで。また、前に進み続けるっていうことがモットーのひとつ。止まっていても時間だけが過ぎていくだけなので、何か行動を起こさなきゃって思うんです。
圧倒的な行動力で現在の地位をつかんだ大熊さん。そんな彼女の言葉には強い説得力があります。第2弾では、体質改善エクササイズプログラム「ピラダンス」について詳しく教えていただきます。
YouTube「リナ・オオクマ【Rina Ohkuma】」
https://www.youtube.com/channel/UC3D2Id9EjpEiU2eXHe-Izlg
取材・文/奥沢 ナツ