フリースタイルスキー・モーグルの選手として長く活躍を続けた上村愛子さんと、日本体育大学教授で、「バズーカ岡田」としてYouTubeをはじめ多方面で活躍する岡田隆さんの対談が実現。「アスリートと食事」についてお話をしていただきました。
「もう1本いい滑りをしたい」と思っても、体が動かないことが(上村さん)
—世界を舞台に戦い続けた上村さんですが、アスリートとして食事にはどのような意識で取り組んでいましたか?
10代から20代始めのころは、あまり栄養バランスというものは理解できていませんでしたね。自分の取り組んでいるスポーツの運動量に見合った栄養をとれているのかもよくわかっていませんでしたが、好き嫌いがないので問題はないと思っていました。
—食事に対する意識が変わったきっかけがあったんですか?
トレーニング量や運動量が増えたら、体脂肪量がすごく減ったんですね。スキーや体の操作は体重にかかわらず自分の感覚でできるんですが、「もう1本いい滑りをしたい」と思ったときに体が動かないというアスリートらしからぬこともあって。世界で戦って「トップになりたい」という目標を改めて見据えたときに、このままではぜんぜん勝てないと、まざまざと痛感しました。
「もう1本滑れない」「勝てない」と感じたときに、食事に原因があると思うことがすごいですよ。
モーグルって、道具をつけてジャンプしなくてはいけないので力が必要なんです。着地の衝撃に耐えられる筋力と、スピードに乗って滑るためには重さも必要です。なかなか勝てなくて、足りないのはここだなって。1年かけて食事で体を変えていこうって思ったんです。
食事のクセに気づいて改善できたことが成功のカギ
—具体的にはどんな取り組みをしていったんですか。
24〜25歳のころ管理栄養士の先生についていただき、1週間の食事の内容と練習量をお伝えしました。たんぱく質、ビタミンはとれていてバランスは悪くはなかったんですが、絶対量が足りていませんでした。特に炭水化物が不足していて、リカバリー能力の不足の原因になっていました。
1年くらいかかりましたが、食事のとり方のクセが改善していき、自分の運動量に見合った食事量もわかってきました。疲れて練習ができないということもなくなり、練習から試合に向けての調整もすごくうまくいくようになりましたね。
20代半ばのころというと2004〜2005年のころのことですよね。アスリートの意識がまだまだ食事に向いていない時代に、管理栄養士と組んで食事を改善するなんて、やはりレベルの高いアスリートだな、と感じました。
あのとき、管理栄養士の先生とつながらなかったら、取り組みはもっと遅れていたと思います。自分の体を使って研究をするような感じで、合っているか合っていないかは、やってみないと答えが出ません。4年に1回オリンピックを目指すなかで、「あれをやっておけばよかった」と4年ごとに悔やむのはもったいない、という思いもありましたね。
そもそも、20代は生き物として若いとき。好きなものを食べていれば練習できますよ、元気だから。そんなときに、自分ができないことを探し出して、課題を言語化し、専門家と組んでアプローチするんですから、長く活躍することができたのも納得です。
シーズンの終わりに来シーズンの目標を立てるんですけど、それまではコーチの要求する技術に対して、「私にはできない」とネガティブな気持ちになっていたこともありました。でも、食事を変えてからは、体が元気なので「できるかもしれない」と思うように。そういったマインドの変化もありましたね。
次回は、現役を引退したあとのアスリートの食生活についてお話いただきます。
<プロフィール>
上村愛子
元フリースタイルスキー/女子モーグル日本代表 オリンピアン。アルペンスキーからモーグルに転向して4年。初出場した長野五輪で一躍注目を集め、日本のエースとして常にメダルを期待される存在となる。世界トップ選手のひとりとして、日本勢の成績を数々塗り替えた。現在はスキー普及のため、メディアやイベントで雪との触れ合いの楽しさを伝えている。
岡田隆
日本体育大学 体育学部 教授/博士(体育科学)/理学療法士/骨格筋評論家。骨格筋評論家バズーカ岡田としてテレビなどのメディアに多数出演し、筋肉の啓蒙活動を積極的に行っている。『除脂肪メソッド』(ベースボール・マガジン社)『世界一細かすぎる筋トレ栄養事典』(小学館)『最強パワーエール 誰でも筋肉とメンタルは強くなる 筋トレで人生の主人公を取り戻す31日』(マイクロマガジン社)など、著書多数。
撮影/鈴木 謙介 取材・文/馬渕綾子