今までの世界は、どこかの国で自然災害が起きたとしても、被害のないほかの国から物資や人材などの援助もあり、どこか安心を感じられていました。
ところがいま、私たちは、人類史上かつてない世界の状況を経験しています。
今後、いままで常識だと思っていたことが変わる――そんな世界がやってくるのかもしれません。
Contents 目次
受けとることだけが多い環境で
起こりやすいこと
人の気持ちを自分のもののように感じてしまい、疲れてしまうことはありませんか?
いまの時期、報道などでもさまざまな人が抱える悩みや苦悩などが放映されていますよね。私たちはその受信側、受けとり側にいます。
その発信される情報をただ見聞きしているだけなのに、自分はいまそのような状況になくても、「大変だろうな…」「大丈夫かな?」と自分のことのように感情を拾い上げてしまう。その結果、ネガティブな感情や状況に影響を受けて、とくに自分に直接、関わり合いがないことにも落ち込んでしまったり、不安を持ってしまったりする人もいるでしょう。
「空気を読む」という言葉がありますが、それも過剰に進んでしまうと、自分と相手の境界線がわからなくなり疲弊してしまうものなのです。
“シンパシー”か“エンパシー”か。
チェックすることで気持ちが整理されることも
日本では、「シンパシー(共感能力)」と「エンパシー(共感能力)」が同じ意味のようにとらえられているように思うことがあります。
でも、この違いを理解することで、気持ちがラクになる人もいるかもしれません。
違いをスピリチュアルの観点で見てみると、「シンパシー」は、同じ共感であっても、どちらかというと「同情」や「意気投合する」など、感情に直につながるニュアンスです。また「シンパシーを感じる」というのも、政治的場面でもよく登場する言葉ですね。勢いがあり、瞬間的に盛り上がる…そんな感じもします。
一方、「エンパシー」は、共感の意味はあるものの、同情ではなく「応援」。おだやかで持続性がある、ポジティブな意味合いが強い印象です。
例えば、美しいものを見て共感するというのもそのひとつ。エンパシーもバランスがとれている状態であれば、協調性を生み、調和し、プラスに働きますが、バランスがとれていないと、思考や行動がちぐはぐになったり、ネガティブになったりして、それが「同情」となります。自分のことのように思うことが過度になると、自分の人生を歩めなくなってしまう…なんてことにもなりかねません。
もしも親しい人が悩んでいたら
「同情」ではなく「応援」を
スピリチュアリズムでは、“人生にその人が乗り越えられないできごとは起こらない”と言われています。
ですから、その背景にもよりますが、「同情」は、その人がそのできごとを乗り越えられないと言っているのと変わりないことになってしまうのです。
そう考えると、とても失礼な話でもあるわけですね。
もし、あなたの親しい人がそういう状態にいるときは、まずは「大変だったね」と気持ちを共有し、話を聞いてあげましょう。そうするだけでも、相手はあなたが気持ちのはけ口となり、安心するかもしれません。
そして、「応援する」モードへ。そのときに気をつけていただきたいのが、「がんばって!」という表現を使わないようにすること。相手は、今まで十分がんばってきているのですから。
あなたは、「応援してるし、あなたを信じてる。あなたなら大丈夫だと私は思う」と伝えるようにしましょう。
いずれにしても、自分の心が疲弊していると感じたときにはまずは休息を。大変なことが続いたのですから。
そして、休憩をし終えたら、気持ちだけでも努めて、応援モードへ。
こんなときだからこそ、気持ちを切り替えることはとても大切です。ぜひ、「シンパシー」と「エンパシー」を意識しながら過ごしてみてくださいね。